転籍制度の落とし穴
自分の働いていた派遣会社は、人材紹介もやっている関係で、転籍制度というものがあり、毎年100人ほど転籍をしているとのこと。
社員数は5000人だから、かなりの割合だ。
だが、その実態がどうなっているのかということについては、派遣社員側には入ってこない。
派遣会社が表立って、転籍させますというわけにもいかないのだろうか。
私が雇用条件を受け入れたので、派遣先の人事総務から派遣元に連絡をしたらしい。
自分はすぐにでも転籍したという気持ちだったが、結果的には「すぐには転籍できない」とのこと。
転籍するにはその派遣先で1年以上の実績が必要とのこと。
1年というと、転籍するまであと10ヶ月ほどあるとのこと。
どうしても、転籍したかった自分は、10ヶ月待つという条件を受け入れた。
派遣先からは雇用条件で不利にならないように、転籍後の給与は1年間働いたことにしてもらえるということになった。
1年で昇給する額は約8500円。
基本給にそれが加算された金額は、転籍後の給料だった。
雇用条件として提示されたのは、管理職の一つ下の一般職で、3年間は昇進しないということだった。
基本給が元の派遣会社とは雲泥の差があり、この条件には何ら不満がなかった。
しかも、昇給額が年に8500円とは。
派遣会社の昇給額はわずか700円・・・格差社会とはこのことを言う。
人間が同じでも会社が違うとここまで雇用条件は違うのだ。
これが日本の社会の仕組み。
派遣先に転籍の申し入れ
ある日、夜仕事を終えて帰る日に、自分を受け入れてくれた派遣先の役員に声をかけた。
今、転職活動をしているが、今の職場で長く働きたいという気持ちを持っている。
可能であればこちらに入社させてもらえないかという話をした。
すると総務部長に話をするから・・・ということだったが、その日は不在だったので、日を改めてということだった。
その翌日、総務部長と役員の方と3名で話をした。
雇用条件について話をした。
ある程度、会社の情報は持っていたので、それに沿った形の希望を伝えた。
話はとんとん拍子に進み、履歴書を提出してもらえれば雇用条件を提示するとのこと。
さらに翌日、履歴書と職務経歴書を持参して総務部長に提出した。
翌々日、雇用条件の提示があった。
派遣先の会社は、歴史が新しい会社で新卒者が少なく中途が多い。
査定はさぞかし難しいだろうと考えていたが、単純に年齢平均で出したとのこと。
そこに書かれていた金額はある程度、予想していたが、自分にとっては夢のような金額だった。
月給は10万円以上、賞与は2倍以上という金額だった。
「いかがでしょうか?」と総務部長。
もちろん、即決だった。
ただ、問題なのは派遣先と契約のこと。
転籍という制度はあるが、そんなにすんなりいくのかどうかわからなかった。
転職活動をする過程で思いついたこと
派遣先でリーダー職として働きながら、転職活動を続けていた。
今までの派遣先とは違い、今いる派遣先は非常に居心地がよかった。
仕事さえできていれば、誰からも干渉されずに仕事ができる。
派遣を雑に扱う上司もいなければ、部下もいない。
今まで非正規で長年働いて、結構雑な扱いを受けてきた自分にとっては天国のような職場だった。
その状況下で転職活動を続けることに、葛藤があった。
今の職場で今の仕事を続けたいという気持ちと、雇用条件を上げたいという気持ちがあり、天秤にかけた。
そんな考えの中、ふと思い立ったのは、「今の職場で雇用条件を上げることはできないのか」ということだ。
派遣会社とは何度も雇用条件の交渉をしたが、全く聞く耳を持ってもらえなかった。
となると選択肢は1つしかない。
会社を変えること。
まずは、派遣元を変更できないかと、転職活動をしている中で出会ったエージェントの方に相談してみた。
回答は「現実的には難しい」とのこと。
となると、今の職場で働き続けて、雇用条件を上げるには、今の会社で正社員になるしかないと思った。
今の職場の平均年収は700万円以上。
自分の経験年齢であれば、その数字は確実に超えられる。
そして今の仕事も続けられる。
そして決断した。
転職活動を続ける
派遣会社に所属して3年目から、本格的に転職活動を再開するようになった。
昇給も少ないし、派遣会社でずっと働くことは自分にとっても得にならないと考えたからだ。
幸いなことに、派遣社員というのは、自社の社員が職場にいなければ、誰かも干渉されずに転職活動ができる。
帰宅時間も基本的に自由だったので、早く帰宅してそのまま転職活動をするなどということをよくやった。
契約社員時代は、転職活動で下に見られることが多く、かなりひどい扱いを受けてきたが、派遣会社の正社員になってからは、それもなくなってきた。
電験三種という資格を取得したためだろうか、書類選考も高確率で通過するようになった。
ただ、二次、三次面接となると簡単には通らなかった。
このとき応募したのは、外資系の企業数社、メーカー数社とやや強気に、ある程度の雇用条件の会社だった。
不思議なことにこれらの会社の書類選考に通るようになっていた。
最初に入社したメーカーで働いてからすでに9年、電気設計という業務経験も長くなり、年齢相応の技術を持ち始めていたからだろうか。
ただ、40歳も目前となり、転職するなら今が最後という気持ちもあり、焦りもあった。
派遣会社の現実
新卒から2社目の会社で契約社員として、働いていたときに、同じ職場で派遣社員の人と出会った。
その人は専門卒で、大手の人材派遣会社のリーダー職として派遣されていた人だ。
勤続15年、派遣会社では大ベテランとのことだった。
同期で入社した人は、もう誰も残っていない。
その会社の昇給は、1年に3000円ほどとのこと。
専門卒の新卒基本給は18万円ほどと考えて、現在の基本給は22.5万円ほどだろうか。
自分はちゃらんぽらんな人間で独身なので、自分のお金だけ稼げればいいとのこと。
あまり欲がない人間だった。
大手メーカーでは、終身雇用の考え方も残ってるので、新卒の人が定年まで働くことも多い。
勤続15年で同期入社が全員会社を去るというのは、何とも寂しい現実だ。
特に仲良しということではないが、その派遣会社に応募していたので、その人に相談することにした。
年収査定が出ていた数字については、その会社では上限に近いとのこと。
自分でも非常に良い査定が出ていると感じていた。
だが、結果的には、その派遣会社に入社することがなかく、それっきり連絡を取ることはなかった。
収入が減って失ったもの
正社員から契約社員、派遣社員となり、収入に大きな変動があった。
契約社員時代は、総合的に見ると、安定した収入だったが、途中会社の不祥事などもあり、残業禁止期間もあった。
その後、派遣会社勤務となり、基本給が大幅減、残業規制もあり、収入は激減した。
結果的に生活をするために、節約が必要となり、持っていた車を手放した。
車も失ったが、もっと大きなものを失った。
それは、交友関係だ。
自分はあまりお酒は飲まないが、話をするのが好きなので、飲み会にも頻繁に顔を出していた。
ただ、飲み会というのは非常にお金がかかり、お金に余裕がないときは控えたいものだ。
飲み会で消費する、1回3000円~5000円という出費は、生活費として考えた場合、非常に大きなお金だ。
男の世界に限ったことかもしれないが、人間大人になると、交友関係を広げるのは酒の席ということが多い。
女性のように、スイーツを食べに行こうみたいな感じにはなりにくいものだ。
契約社員を雇止めになり、派遣会社に転職してからというもの、以前の知人に連絡することがなくなった。
飲み会など、お金がかかることを控えるためだ。
転職先がなかなか決まらないことを心配していた職場の仲間もいて、「決まったら連絡してください」などと言われていたが、結局連絡することはなかった。