元非正規社員が40歳で年収800万円を達成した成功体験

30歳で年収150万円の元非正規社員が40歳で年収800万円の正社員になった成功体験を語ります

年収800万円への憧れ

自分は、年収が400万円から500万円の間を行ったり来たりしていた期間が長い。

 

日本の同じ会社で働いていれば、必然的に年収は上がっていくものであるが、自分は転職が多かったので、そうはならなかった。

 

高卒に就職で100~300万円、勤労学生で150万円、メーカー正社員で400万円台、契約社員で500万円台、派遣会社で400万円台という状況だ。

 

自分はある程度の都会で生活しているため、生活費は結構かかる。

 

田舎であれば年収400~500万円あれば十分という見方もあるかもしれないが、都会で家族がいて生活するとなると、この年収では生活していくだけで余裕がない状態になってしまう。

 

上を目指せばきりがないが、自分の状況では年収は最低でも600万円、できれば800万円はほしいと思っていた。

 

特に贅沢をしたいとは思わない。

 

ただ、年収600万円あれば少しは貯金できるかもしれない。

 

年収800万円あれば老後の不安もなくなるかもしれない。

 

そう思ったまでだ。

 

あとは都会では年収は一種のステータスのようなものだ。

 

生活の豊かさとは無関係に、数字として出しておかないと競争に勝てないという感覚がある。

 

普通のサラリーマンで年収500万円の人は数多くいるが、年収800万円の人はそれほど多くない。

 

ある意味、普通のサラリーマンでは勝ち組である。

アルバイト先が大惨事

二部学生の頃、いろいろな会社で働いた。

 

辞めた後のことだが、最後に働いた会社が大惨事になっていることが、ネットの情報でわかった。

 

その会社はWebデザインの会社で、経理関係の会社の社長が副業でやっていた。

 

Webデザイナーの女性が社長として共同経営をしていた。

 

あるときネットを見ていると、「会社が乗っ取られた」と書かれていた。

 

共同経営者がWebデザインの会社を乗っ取ったのだ。

 

社長や社員が出社してみると、パソコンのハードディスクが全部抜かれていて、パスワードが全部変えられていてサーバーにもログインできなくなっていたとのこと。

 

しかも、社長と社員は全員追い出されてしまい、会社に入れなくなったとのこと。

 

社員みんなで集合して会社におしかけて、警察に立ち会ってもらい、会社に突入・・・

みたいな話だった。

 

普段から不仲だった、社長と共同経営者。

 

とうとうこうなったか。

 

ちなみに今でも、その経理の会社はあるが、Webデザインの会社はその時点で廃業となったようだ。

 

自分は派遣社員?契約社員?正社員?

派遣会社で働くようになるまで、派遣社員についてよく知らなかった。

 

自分は技術者専門の派遣会社、旧特定派遣会社で働いていて、自社の正社員として雇用されていた。

 

一方、派遣先では派遣社員として働いていた。

 

自分を正社員か派遣社員かと問われれば、「正社員」と答えるのが正しい。

 

一方、契約社員として3か月単位で雇用されている派遣社員もいて、そういう人は契約社員と答えるのが正しい。

 

では、派遣社員というのはどのような人を指すのだろうか。

 

おそらく、労働者派遣法で規定されている派遣契約を結んでいる人のことを指すと考えられる。

 

実際の派遣社員は、正社員、契約社員、(いるかわからないが)外注のどれかに分類されるはずだ。

 

自分が住宅ローンの審査書類を書いたときに、正社員、派遣社員契約社員という分類があった。

 

今思うと、派遣社員は自社の契約社員のことを指すと考えられえるが、少々矛盾があることがわかる。

 

派遣社員のリーダー職の仕事

派遣会社に入社した3年目、雇止めから、派遣先変更になり、交渉によってリーダー職に就くことになった。

 

リーダー職の手当ては月に5千円。

 

残業代は支給されるので、管理職ではない。

 

では、派遣社員のリーダー職とはいったい何をする職なのだろうか。

 

派遣会社の社員は上司も部下もいないのが基本だ。

 

仕事の指示をするのは派遣先の社員、ほとんどの場合、自分が指示を出すことはない。

 

言われたことをやるのが、派遣社員の仕事だ。

 

ではなぜ、リーダー職が必要なのだろうか。

 

自分が3年目に配属された職場は、配属されているのは自分ひとりだった。

 

以前、2名ほど配属されたことがあるが、最近は配属者なしだったとのこと。

 

1人目はスキルがないので雇止め、もう1人は景気悪化により雇止めとのこと。

 

そんな中で、自社で5%しかいないリーダー職としての配属だった。

 

結論を言うと、リーダー職は、営業担当との連絡係だ。

 

派遣社員は、自社の社員は出勤状態をシステム上でしか管理することができない。

 

その人が当日来ているのか、来ていないのか。

 

それを確認するのがリーダー職の仕事だ。

 

もう一つのリーダー職の仕事が、営業活動だ。

 

会社がどのような人材を探しているのかを、社内で察知して、営業担当に知らせるのだ。

 

月に5千円の仕事は、それほど重くはない。

 

であれば、リーダー職になったほうが得なのだが、なぜかなり手が少ないとのこと。

 

責任を負いたくないというのがその理由のようだ。

 

 

 

人生で最も高い買い物

人生で最も高い買い物は、マンション、二番目に高い買い物は車だ。

 

今回は、2番目に高い買い物だった、車との出会いと別れをお話する。

 

この車に出会ったのは、派遣社員が雇止めになる少し前のことだった。

 

もともと新車で購入したファミリーカーを1台持っていた。

 

諸費用込で200万円弱の車を頭金100万円を出して、日立キャピタルでローンを組んで購入した。

 

マンションを購入するにあたり、車のローン返済が条件だったため、残金だった75万円を一括返済した。

 

ローンがない状態で車を持っていたのだが、当時、どうしても別の車がほしくなり、持っている車を下取りしてもらい購入することにした。

 

トヨタのほしかった車を見に行ったのだが、どうにもしっくりこないので、取引があった他メーカーの店に行き、「最終モデルだから」とすすめられるままに、購入したのが人生で2番目に高い買い物であった、この車だった。

 

その金額、諸費用込で430万円、残価設定クレジットで下取りしてもらった100万円を差し引いた金額を5年ローンで購入した。

 

契約社員時代は、収入もそこそこあったので、支払いは問題なかったのだが、契約社員を雇止めになり、派遣社員として働くようになってから毎月赤字になってしまい、預貯金が減るばかりという状況だった。

 

3年目の車検を間近に控えた頃、どうにもお金のやりくりの見通しが立たなくなり、車を手放すことに。

 

ローン残高200万円、買い取り金額250万円だった。

 

人生で2番目に高い買い物で、最も無駄な買い物だった。

会社を辞める日

若い頃はあまり意識しなかったが、新卒で入社した会社、次に働いた会社を辞める日は、本当に悲しい気持ちになった。

 

いずれの会社も、社員証がなければ入ることすらできない会社なので、一度、社員証を返却してしまえば、二度と会社に来ることはない。

 

会社を辞める日にやることは一つ。

 

午前中はデータの移し替えや他の社員への引き継ぎ、午後は机やパソコンの返却などだ。

 

パソコンを閉じてしまうと、もうやることがないので、椅子に座ってひたすら定時になる時間を待つ。

 

定時になったら、周りの社員に挨拶をして、最後の別れを告げる。

 

契約社員だった会社を退職したときは、建物の前まで職場のみんなが見送りにきた。

 

そのうちの一人(20代後半の男)が、手を振ったときに、泣き始めてしまった。

 

そのまま振り返ることもせず、工場の門まで行き、社員証をリーダー社員に返却して、握手をして別れた。

同期入社の社員との別れ

契約社員時代、同期入社の人が2名いた。

 

同じ日に入社した契約社員で、いずれも40代の方だった。

 

年齢は違えど、給料は全く同じだった。

 

配属部署は違ったが、ときどき話をした。

 

1人の人はメーカーや派遣会社の経験がある人で、何らかの理由で求職をしたのちに、転職をしたらしい。

 

その人とは紹介会社が同じだったこともあり、親しみをもっていた。

 

働き始めて2年が経過する直前のある日、エレベーターで一緒になったので、「これからどうするのですか?」と聞いてみたら、「まだ決まっていない」とのこと。

 

自分は半年間の再雇用となっていたので、非常に心苦しい状態だった。

 

去っていく当日、挨拶をする機会も逃してしまったのが、悔やまれる。